2009年04月08日

歩んだ人生を自慢げに語りたいもの

歩んだ人生を自慢げに語りたいもの

自慢げに自分の人生など語るほど、材料を持ち合わせているわけではありませんが、男として父親として、経営者としてそんな時間が欲しかったりもするものです。

色んなところで話をする機会はありますが、断片的だったり、公の場だったりで私自身のことを語る場ではなかったりするものです。

語るにはそれなりの条件があります。

今が健康であること、
それなりに社会や家族、企業に貢献をしてきた誇りがあること、

足元を掬われるようなことをしていないこと、
真摯に真剣に生きてきたこと、
努力の積み重ねであること、

これからも十分に生き抜く気力を持ち合わせていること、



人の一生は、「たかが一生、たかが生き様」と言われますがそれぞれに価値があり意味深いものです。

いい加減に、我が侭に勝手気ままに生きてきたようですが、それぞれの立場や環境において重要な役割を担って一生を終えていくような気がします。

中には裏街道やアングラな世界を歩き、世間に迷惑や被害を与える向きも無いではありませんが多くは善良な思いで生きている人がほとんどでしょう。

長い人生の中では時には邪まな気持ちが働いたり、万止むを得ない状況に追い込まれたり、気づかずに嵌(はめ)られていることや法的な事の無知から来ることも時にあるものです。

時には自分の人生を自慢げに語りたいものです。
照れくさいですが。

それだけ人の一生は貴重なもので価値あるもののように思えるから。


『苦悩こそ人生の真の姿である。
我々の最後の喜びと慰めは、
苦しんだ過去の記録に他ならない。ミュッセ』

『克服することができると信じる者は、克服することができる。
この人生の第一課を学ばなかった者は、
恐れを克服できないまま日々を過ごす。エマーソン』

『人生は芝居のごとし、
上手な役者が乞食になることもあれば、
大根役者が殿様になることもある。福沢諭吉』



Posted by mister_kei0918 at 11:16│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。