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2008年06月30日

安いものには訳がある

安いものには訳がある

今は100円ショップのような想像も出来ないようなお店が出現してきました。
その経営手腕と勇気に驚いてみたりもするものです。

当然、従来のような国内完結型の需要や供給のあり方ではこんなことの実現は不可能だったでしょうし思いつきのしなかったかもしれません。

あるいはアスクルのようにまさかの世界が眼前に実現するとも考えても見ませんでした。
物流が格段に進み、ネット社会がそれに拍車をかけました。

安いにはそれなりの理由が存在します。

中国のような行後進諸国で作って輸入をする、
倒産品のような商品を仕入れる、
仕入れを徹底的に叩いて安くさせる、
パクリの商品、
盗品、
現金欲しさの叩き売り、
原価の捉え方の間違い、もしくはいい加減、
赤字覚悟の販売、
在庫処分、投売り、

あるいは徹底したコスト削減による低価格、
革命的な技術によって生まれた商品、



外にも安くなる要因はあるかもしれませんね。

業種によっては私どもが想像できない方法を生み出している方や会社があるのかもしれません。

いずれにしても安くなるにはそれなりの理由は存在するものです。
理由は様々ですが。

消費者としては色んなからくりを見抜く力を要求されそうです。

いずれにしても、安さで法外な利益をむさぼったりしてはいけませんし社会秩序を乱してもいけませんよね。やはり商売は適正価格で適正利益。

また、安く出来る技術やコスト削減の方法を研究し、価格が落とせるにも係わらずお客様に還元することを怠ることもいいことではありません。

企業の社会的責任として、常に研究研鑽を怠らず、良質の商品、適正な価格で提供を続け、法外な利益を蓄えるのではなく研究開発費や人件費、福利厚生として有効活用が必要でしょう。

時代は常に変化を続けます。

デジタルが世の趨勢ならデジタルを有効に取り入れて、価格低減の方法を探り、グローバルな社会の到来ならそれに迎合したり逆らったりしながらの努力もあるものです。

ボーダレスなら、異業種のノウハウを取り入れたり、M&Aなども視野に入ってくるのかもしれません。

いずれにしても面白い時代の到来です。
これを利用しない手はないでしょう。

需要側も供給側も。
  


Posted by mister_kei0918 at 15:26Comments(0)

2008年06月29日

雨の日は好きですか

雨の日は好きですか

雨の必要性のある業種の方、あるいは雨によって恩恵を蒙る方でなければ雨の日が好きになる訳がありませんよね。

あるいは雨の雰囲気やムードがたまらないという方もいます。

雨になると、仕事が休みになる職場、外に出れなくなることでほっとする側面の方もあります。

雨は農業の方にとってはお日様と同じくらい「天の恵み」であることは間違いありませんし、漁業においても海を豊かにしてくれるのも流れくる水の恩恵は大変なものです。

人間の歴史の中でも雨のもたらす恩恵の傍らでは大変な災害との戦いの歴史が繰り返されてきました。

自然の前になす術を知らない人間ですが、自らがその大きな原因を作ったりもしています。

どこかで、大きく反省をし、決断をしないととんでもないことになりそうです。

もしかすると人類の破滅の時期を早めてしまう位に切羽詰った状態が来ているのに、まだ真剣さが不足しているのかも。

私は雨の日は嫌いではありません。
むしろ好きなほうかもしれません。

幼い頃はわざと雨に打たれて興じていたのを思い出してしまいます。背負っているランドセルがグシャグシャになったのを思い出します。

滴る雨や雨音にさえ、風情や心を感じる、そんな人になりたいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 09:19Comments(0)

2008年06月28日

自分に厳しいと人に優しくなれる、幸せに近づく

自分に厳しいと人に優しくなれる、幸せに近づく

自分に厳しい人の殆どの方は他人には優しいものです。
逆に自分に甘い人の殆どは他人には厳格な人が多いもの。
その様に感じませんか。

私が接する比較的近くの人々の話ですのであるいは異なっている側面があるのかもしれません。
自分にも厳しく他人にも厳しい、あるいは自分にも甘く他人にも甘い人がいないでもありませんが、

他人に優しい人の中にはどんな人が多いですかと問われると案外「自分を比較的律する人、自分に比較的厳しい人こそ他人に優しい人」が多いことに気づきます。

また、自分に厳しい人に限って幸せな人、幸せに近い人、幸せが追っかけてくる人、幸せが周りを廻っている人が多いようにも思えます。

「自分に甘く他人に厳しい人」は比較的我侭で自己本位、我田引水。むしろ人の幸せを羨み、引きずり降ろすことを日常的に考えているものです。

「自分に厳しく他人にも厳しい人」は余りにも厳格すぎて、頑固一徹、とっつきにくく、強面にさえ感じてしまいます。

それこそ、幸せさえも恐ろしくて近づくことを嫌がってしまうものです。

自分に厳しい人は、自分にさまざまな課題、難局を厭わず受け入れる体質がありますから、当然人の痛みが分かってくるものです。

人様の嫌がる言動、苦しいときの状況、追い詰められたとき、切羽詰ったときの心模様・・・・・を体得しているものです。

幸せは自分が望んでもやってくるものではありません。

自分自身の日ごろの行動と努力。
後一つ大事なものは人を大切に幸せを願う気持ちと後一つ大事なものは「あの人は幸せであって欲しい」と願う周りの思いのようにも思えます。

幸せな人の周りには次の幸せが待っているようにも思えます。
幸運の女神の前髪は、掴む努力をする人の訪れるようです。

その幸せの輪の中に入れるかどうか、幸せのサイクルの一人になれるか、それが命題のようです。

今日も幸せのサイクル構築に精を出してみます。
  


Posted by mister_kei0918 at 09:33Comments(0)

2008年06月27日

「経営って楽しいものだよ」

「経営って楽しいものだよ」

先日の経営者団体の集まりでこんなことを言ってしまいました。

その方は女性で、年齢は、そうですね30代後半でしょうか。
女性の年齢を推測判断するのは私にとって大変に難しいことですし余りすべきことではないと思ってますので、拘る必要もありませんが。

どうも最近、先代から社長を引き継がれたようで始めて経営者団体へも参加をされたようでした。
多分、その会社の中で従来から働いておられたようではあります。

先代が身内なのかそうでないかも聞いてはおりません。

私どもが経営の話をするときについ「経営は大変」、「経営は割に合わない」「報われることは少ない」・・・・・
等の言葉が飛び交ってしまいます。

確かに今時の経営は一筋縄では行かなくなりました。
昔は競争もそれほど激しくなく、業種間の垣根も高く、異業種からの参入など余程のことだったのですが、今は儲かると伝わると瞬く間に競争相手が増え、とんでもない業種からの参入や企業でお互いの利幅をむしり取る様な時代です。

また、起業がやりやすくなった事で今まで開発や営業で頑張っていた責任者が係わる数人を連れて会社を出て行くような事態も日常的です。

昨今は社会保険、福利厚生を初め、企業の社会的な負担も増加傾向で懸命に稼いだ利幅は瞬く間に減少をしてしまいます。

下からは最近のガソリンを初め、資材の値上がりが激しく顧客への価格転嫁が出来ない会社はいよいよ持って厳しい現実を直視することになってしまいます。

でも、楽しいこともないではありません。

あるいは「楽しい」と思って経営をしたほうがより前向きで明るい経営が出来そうですし、社長が苦虫を噛み潰したような顔では元気のある社員まで意気消沈してしまいます。

お客様と接するときも不景気面をしていては「この会社はいよいよもって危ない」等と揶揄されても困ります。

内情はさまざまなことがあっても、あるいは苦しいことや悔しいこと、眠れないことがあっても表向きはさわやかに明るい表情を崩さないことが大事なようです。

でも、努力を怠ってはいけませんよね。

こんな時代こそ「やりがい」があるというものです。
景気の良い時は自分の会社の業績も上がって当たり前。

こんな時ほど、勇気を持って、敏腕を奮い立たせたいものです。
不思議とそんな気にになってしまいます。

「経営って楽しいものだよ」と心根に秘めながら。
  


Posted by mister_kei0918 at 14:49Comments(0)

2008年06月26日

あの人に会えると気が晴れる

あの人に会えると気が晴れる

会うのが楽しみって人がいませんか。
そんな人がいるものです。

個人的な思惑や感情ではなく、どこでもその人がいると明るい楽しい雰囲気を醸し出す人。

こんな梅雨時や暑苦しい時期でも、その人がいる集まりや会議では雰囲気が和み、涼しげな感じもしたりします。

あるいは寒い時期でも、暖かい心温まる思いが存在したりもします。

誰か一人でもそんな人が近くにいると、幸せな気分にもしてくれるものです。

恋愛感情や家族愛はそんな思いの際立ったものでしょうが、そうではなくて自分の交友の中にそんな方がおられると姿を拝見しているだけでも気持ちが癒されたり、意気込みをもらったり、勇気を授けてもらったりもします。

多くの方々にお会いすることがそんな関係を発見する場であったり、気付きであったりします。

人間として長い期間付き合っていると、嫌な姿を見たり、見たくない一面を感じたり、ふとした言葉に嫌悪感を誘ったり、どうして?とか、そんな筈ではなかったとの思いに駆られたりも致します。

人間として許せないこともあったりもするものです。

幾らか許したり、寛容の心も滲ませながら、あるいは自分の心をなだめすかしながら人との関係は深まったり進んだりも致します。

相手もそうです。

自分だって神様仏様ではありませんから、相手以上にそんな思いや感情を抱かせているやも知れませんし、自分以上に寛大な気持ちで見てくれているのかもしれません。

お互いの許しあい譲り合いながらの人生です。

でも一人くらいは人生の指針となったり、目標であったり、出来れば会えるのが楽しみな方が存在するともっと人生が愉快になりそうです。

今日もそんな人に出会えるのが楽しみです。
  


Posted by mister_kei0918 at 08:47Comments(0)

2008年06月25日

結婚についてこんな言葉が

結婚についてこんな言葉が

結婚については語る機会も多いですし、特に若い頃は何につけても頭の中で常に廻っているものです。大人にとってそれだけ興味、関心の深いことということでしょうね。

結婚をしている人、
これからの人、
既に経験だけは済ませた人、
私の様に過去の歴史になってしまった人・・・・・。

結婚は永遠のテーマだとかも言われますし、こんなものだと結論付けることも出来ません。

経験がものをいう事もありません。

それは個人の極めて限られて一経験に過ぎないのが結婚でしょうか。
自分の経験、結婚観を持って他の夫婦を論じることもどうも正確ではなさそうです。

他の事柄は経験を積めば、それは実績や知識、知恵として集積されますが、結婚だけはどうもそういうわけにもいかないようです。

色んな言葉を集めてみました。
言葉は言いえて妙。何かしら自分に当てはまるから不思議です。


『女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。ベンジャミン・ディズレーリ』

『結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。ハイネ』

『結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。アーサー・ゴッドフリー』

『君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる。ソクラテス』

『結婚は鳥カゴのようなものだ。カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。モンテーニュ』

『すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。バイロン』
『ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。バイロン』

『結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。リヒテンベルグ』

『結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。バーナード・ショウ』

『独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。アンドレ・プレヴォー』

『夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである。ドストエフスキー』

『あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。バルザック』


異論を唱えたいところもありますが今日のところは言葉の羅列ということにしておきたいと思います。
でも、なんとなく共鳴をしてしまいます。
  


Posted by mister_kei0918 at 17:36Comments(0)

2008年06月24日

人が見ているから

人が見ているから

「余り人の目を気にしなさんな」、私も子供たちや友人たちに言います。

人の目を気にする余り、精神状態に落ち着きを失ったり、不安や嫌悪を感じるようであればそれでもいいと思います。

私自身も人の目や自分に対する意識を気にしすぎて、不安な時期があったり、対人恐怖のような精神状態になっていた青春時代がありました。

人に見られることが、自意識過剰になってみたり、
傲慢さや優越感の発露になってはいけませんがそのことがやる気を起こしたり、自分をより以上に磨くきっかけであったり、修練するための機会として捉えたら大変なチャンスを得ることになります。

私がそんなことに気づいたのは多分40歳前後からでしょうか。

本当はもっと早く気づいていれば私の人生も大幅に今とは違うものになっていたと想像されます。

社会の中で生活する以上、人との係わりなしでは生きていけませんし、人生の楽しみや幸せはむしろ自分ではなく周りや周りの人々から持たされるものです。

であれば、逃げていては巡り来る筈の多くの楽しみ、幸せを自ら避けているようなものだと気づきました。

後ろめたい気持ちや恥ずかしさ、自分を卑下する気持ち、失敗やトラブルを極端に嫌う性格、本当は負けず嫌い、内在する自分の本当の姿を知らない、もしくは見ようとしない・・・・・

私がそうでした。

でも、人の目を心地よいものとして受け止める努力を重ねるととんでもないことが起きて来る事請け合いです。

人間そのものが変わっていくことを実感できますし、多くの方々にお会いするのが楽しみともなるものです。

本来、恥ずかしがりですから根本から変わることはありませんが、人との出会いや見られることが苦痛から開放され時には快感とまで言わなくても心地よい春風にもなったりも致します。
すると人間は欲が頭をもたげてきます。

もっと人に見られても恥ずかしくない人間でありたいとか、自己研鑽を重ねて自分の主張や持論を人に伝えてみたいとか、人間修練の場にもなることを実感することになります。

これが講じると、社会に有用な人間でありたいとか、役に立ちたいとか、自分のことだけでなく周りに配慮する自分を感じることが出来るものです。

好い例が若手の女優さんの姿がそうですよね。

大丈夫かと心配をするほどの新人が見る見る力をつけてみたり、表情に自信がみなぎり、存在感を感じたりもするものです。

勇気を持って、本来持っている自分のあり方を探る意味でも「人が見ているから」を積極的に利用するのも人生を切り開く貴重な体験になるようです。

今日も出来るだけ多くの人々に会ってきます。
  


Posted by mister_kei0918 at 10:26Comments(0)

2008年06月23日

沖縄のラジオ局から取材をされました

沖縄のラジオ局から取材をされました

先日、6月19日夕方5時30分から、約30分くらいだったでしょうか。
沖縄のラジオ局から取材をされました。

その日の午後に初めて連絡を頂きましたので、それこそぶっつけ本番。
何の準備もすることなくいきなりのことでした。

でも、下手に準備など要りませんよね。
却って唐突のほうが面白い突拍子もない返答が出たりで面白いかもしれませんし、またしどろもどろも結構楽しめるかも知れません、聞く人にとっては。

私が沖縄の泡盛の会の会長を福岡でしているものですから、どうも酒造メーカーの番組として取材をされたようです。

沖縄のラジオを福岡で聞けるわけがありませんから、旨く話せたかどうかは定かではありませんが、取り直しがなかったということは曲がりなりにも合格したのでしょうか。

出来れば聞いてみたいものです。声のトーンや話の内容。

大体、頓着のないほうですから話した内容もさっぱり覚えていないものですから。

いつかRKBラジオに出演したことがありますが、久しぶりの体験で楽しいひと時でした。

わざわざ沖縄から取材にお見えになられた女性お二人、お疲れ様でした。
無事お帰りになりましたか?
  


Posted by mister_kei0918 at 21:37Comments(0)

2008年06月22日

今年も「ひまわりプリジェクト」

今年も「ひまわりプリジェクト」

今朝も雨模様の天気の中、大濠公園を2周回してきました。

皆さん、健康にはやはり関心が深いこともありますしまずは健康第一というお気持ちなのでしょう。

傘を持って歩いている方々が結構いらっしゃいます。

今年の春の大濠公園は受難でしたね。

折角、近くの多くのボランティアの方々が丹精をこめて、時間をかけて育てたチューリップの花を鋭利な刃物で切った事件がありました。

中には幼稚園の子供たちが小さい手で一生懸命育て水遣りをした花まで無残に切り取られていたものです。

私も見ましたが、とても悲しいことでした。
その後そのニュースを聞きつけた富山県?の方々がわざわざ送っていただき、後は綺麗に元の花園に戻ったようですが。

また、今年の夏も「ひまわりプロジェクト」が始まっています。

応募された方々が県の公園管理者の指導の下に整然と蒔いたチューリップの茎が10センチ弱まで伸びてきていました。

公園を四季折々の花々で飾りたいのは誰しも同じですし、福岡へこられる観光の方々にも綺麗な評価をイメージを持って帰っていただきたいものです。

かといって財政難の折でもあり、しかも理解ある住民の方々の中には自分たちも参加したいとの思いもあるものです。

多分、育てておられる方々もそれなりに楽しみでもあり社会のお役に立ちたい、社会貢献をしているとの思いも交錯しているものと思われます。

公園を訪れる大きな楽しみにもなっているやも知れません。

しっかり育って、猛暑であろう今年の夏に皆さんの目と心を和ませて欲しいものです。
私も出来れば家族と一緒に参加したかったのですが。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:59Comments(0)

2008年06月21日

幸せを運ぶ鳥はいるのでしょうか

幸せを運ぶ鳥はいるのでしょうか

「お前はコウノトリが運んできた」んだとか、今の子供たちに言っても笑われてしまいます。

今時の子供たちは結構大人ですから、そんなこと鼻から知っていて笑い飛ばされるのが落ちです。
せいぜい「神様からの授かりもの」くらいは理解してくれるかも。

むしろ私などは「橋の下から拾ってきた」だの、「うちの子ではない」などとも言われたものです。

それだけ、親にとって育て方の難しい、我侭な、分別の足らない子供だったのでしょうね。

あるいは逆に翻ってみると、それだけ生活的にも、社会的にも貧しい心のゆとりのない時代でもありました。

親にとっては気持ちのゆとりなどあるわけがありません。
日々の生活が精一杯で明日のことさえ見えないギリギリの生活だったものです。

子供をそっと見る目も、時間もあったものではありません。生活に追われていますから。

所で子供を運んだコウノトリがいたように幸せを運ぶ鳥はいたのでしょうか。
幸せは目に見えるものではありませんが、自分の心で感じるものです。

物がこんなに豊かでも幸せを感じることが出来ない人もいますし、お金が山ほどあっても幸せに程遠い人もおられます。

幸せは自分の心の中で醸成されるもので、他人が「あなたは幸せそうね」等と言われても本人は作り笑いかもしれませんし唯の想像や推測でしかありません。

幸せを運ぶ鳥は、第一には自分でしょう。
2番目には周りの人々でしょう。

決してお金や物ではないと思われます。
しばしの幸せ感はあってもそれはまもなく空虚で、淋しく、欺瞞やおごりを生み出し、隙間風を感じるものです。

当然、少しばかりのゆとりをもたらしてくれるお金と人並みの物、健康と心許せる人々が手元にあって、かつ幸せを感じられれば最高ですよね。

やはり待っていては感じることは出来ません。

心の伴った行動と幸せを目指す努力が必要に思われます。

今日の一日が、家族や周りを幸せに出来る行動なのか、自己研鑽や知識・能力を開発、高める努力と実践が伴っているのか自問してみたいものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:14Comments(0)

2008年06月20日

幸せなときにこそ

幸せなときにこそ

自分が不幸のどん底にいるときは、早く這い上がりたい、幸せの足元にでも辿り着きたいと念願するものです。

でも幸せを謳歌しているときには、当然ですが不幸への道筋を想像する人はいないかもしれませんね。

或いは「この幸せは果たしていつもで続くのか」とか「こんなに幸せでいいのか」、「幸せを手放すことが怖い」などと不安な気持ちが過ぎったりはするものです。

でも、不幸になりたいとは誰しも思わないものです。

幸せはじりじりとにじり寄るものですが、不幸は突然に訪れるものです。

宝くじのように突然がないわけではありませんが。それでも買うときには当たることを誰でも予想しながら買うものです。

恋人からのいきなりの絶縁
親子の離散や別離
夫婦間の浮気の発覚や離婚
事業の突然の破産、突然のリストラ



「好事魔多し」、
昔からこんなことを諭されました。幸せなときほど、足元を見つめて浮き足立たないように。

「油断大敵」、
心の隙間や襞にこそ災いや不幸は飛び込んできます。

「備えあれば憂いなし」とも教えていただきました。
準備万端、何者が訪れても怖くないように備えておくことが幸せな時間を長引かせたり、深めたりするようです。

人にはリズムがあるようです。

いつまでも不幸は続きませんし、幸福もいつまでも続くものでもありません。

不幸の度合い、幸福の度合いもいくらかは個人の心がけで長引かせたり、遠のかせたり、短く出来たりもいたします。

幸せなときほど、そんなことを大切に真剣に考えて見ることが必要なようです。

事業も業績が良いからと胡坐をかいていると足元をすくわれることは結構あるものです。

また慢心のあまり有頂天になったり、天狗になったり、横着な傍若無人な態度や行動はいずれ破綻、衰退への道を下り始めるものです。

そんな時程、謙虚にお蔭様を感じつつ、来る時のために人や知識の蓄えを忘れず、足元を見つめた一手がより一層の躍進に結びつくものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 14:47Comments(0)

2008年06月19日

世の中ってそんなもの?

世の中ってそんなもの?

世の中は所詮、そんなものなのでしょうか。
人間にとって安寧の日々など、願ってもないのではないでしょうか。
あるいは神代の昔から世の中ってそんなものだったんでしょうか。

そうではなくてどうも近代、
とりわけ第2次世界大戦が終結した頃から世界情勢にしても国内にしても落ち着くことを知らなくなったようにも思えます。

歴史を見ると争いや紛争はあっても地域的に限定されていたり、距離が離れていると情報は伝わってきませんし、落ち着いている時期が存在するものですが今は全く様相が異なってきました。

それは情報伝達の手段が格別に発達してきたことや諸外国の存在なしでは自国の発展や活動も出来なくなったこと、移動手段も増え、しかも大量にしかも長距離を短時間に動くことが可能となってきました。

世界が一目できる状況になってきたこと、
ましてや国内のことは手に取るように、隣の出来事の如く、詳細に微に入り細に入り、事の始まりから終わりまで伝わってきます。

特に聞きたくないことに限って早く正確に洪水のように押し寄せてきます。

人間って不思議なもので、
本来なら耳に手を塞ぎそうなことのはずなのに、聞き耳を立ててしまいますし人の不幸や事件事故、諍いごとには異常に興味を示してしまいます。

其の事で結局、世の中を悲観したり悲嘆したり、涙を流してみたり、気持ちまで塞ぎ込んだりもいたします。酷いときには精神まで病んでしまいます。

あるいは世の中はあと少し不便でいいのかもしれませんね。
聞きたいときに聞こえてくるぐらいがちょうどいいのかもしれません。

ここまで来たら、もう諦めの境地。

「世の中ってそんなもの」。あまり興味を持ってあらゆることに耳をそばだてることは止めにした方がいいのかもしれません。

「あなたは世の中に疎いね」などと言われるくらいが精神衛生上はいいかも。
  


Posted by mister_kei0918 at 13:22Comments(0)

2008年06月18日

読書が好きなのに

読書が好きなのに

若い頃は読書が好きで、通勤の途上はいつも読んでいたものです。

東横線の日吉本町駅(横浜市港北区)から渋谷で山手線に乗り換えて田町駅まで。
時間的には約一時間。貴重な時間でした。

往復で2時間も読書できるのは、今考えると極めて大切な通勤時間だったように思います。

それが会社を作ってからは、本の走り読みはあっても熟読はほとんどなくなってしまいました。

経営だけならまだ増しだったのでしょうが、プラスしてボランティア活動やらPTA、社会活動、異業種交流の会、郷土の会のお世話、接待はしませんが仲間や先輩たちとの飲み会・・・・・。

代わりに、人に会う機会、人の話を聞く機会は確かに増えましたがやはり読書に適わないものがあるのは確かです。

特に若い頃には大いに読書をして欲しいものですし、本を読む事の重要さ、大切さは学んでいたほうがよさそうです。

パソコンでもそうですが、読んでいるのはテキストですから結局は理解するのも必要ですし咀嚼しないといけませんしね。

時代は変わっても、文字を読むことには全く相違はありませんし、時代の差はありません。
アナログかデジタルかの違いであって。

昔から言われる読解力はいつの世も必要とされますし、必要不可欠な能力のようです。

出来れば「斜め読み」でもいいですし、最近よく言われる「速読」をマスターできるともっといいですね。私にはもう遅すぎますが。

本だけは良く買うんです。車や私の部屋に老いてますが例え読まなくてもせめて意識をそこに置いておくだけでも違うようです。


『読書して考えないのは、食事をして消化しないのと同じである。バーク』
『読書は充実した人間をつくり、書くことは正確な人間をつくる。英哲学者:ベーコン』
  


Posted by mister_kei0918 at 18:26Comments(0)

2008年06月17日

東京へ出かけます

東京へ出かけます

そうですね、あまり東京へ行くのは好きではありません。

只でさえ喧騒の中で体力、精神のエネルギーを消耗しているのに、あるいは憔悴仕切っていると言っても過言ではありません。

それ以上の所は望みもしませんしあまり行きたいものではありません。

でも、仕事が絡むとそういうわけにも行かなくなってしまいます。

今回は自分の事業のことというより、日本全国の業界の業態の変革についての議論、研究の場に臨むための東京です。

最近景気がいいとか、持ち直したとか政府の統計を捉えての発言が多かったものですが、昨年夏のサブプライムローン問題の発覚以降、大企業中小零細を問わず、大変な事態になってきました。

私どもの業界は、業種としては古い体質を温存した業界と思いますが古いから、新しいからといえる状態ではなく、すべての業種で暗雲が立ち込め始めたといっても過言ではなさそうです。

つまり、従来以前とした経営や業態では生き残りが難しくなり将来を、極めて近い将来を議論しようという為に出張をすることになったわけです。

議論の結果を持ち帰って、九州地区の業界の企業や経営者へ伝える役目と自分自身の変革を期待されているようですので勉強をかねて頑張って見ることにしました。

いつまでの勉強の種は尽きないものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:58Comments(0)

2008年06月17日

宮城県仙台市への旅行の予定でした

宮城県仙台市への旅行の予定でした

14日の朝に発生した岩手・宮城内陸地震のニュースを聞いたのは石見銀山へ出かける新幹線の中でした。近くの席の方が携帯で知ったようで隣の方と話しておられる会話で知ることが出来ました。

マグニチュードが7を超える巨大な直下型の地震にも係わらず、被害は少なかったのは何よりでした。

災害に見舞われた方々にお見舞いを申し上げます。

これほどの自身の2割は日本で発生しているらしいですから大変なことです。
これからもこれ位の大きな地震が起こることを予想しながら生活を送ることが必要なようです。

福岡には警固断層という比較的大きな長い断層が都心部の突っ切ってますから不気味です。
数年前の西方沖地震の影響でこの断層が動く確立が高まったようです。

近くに住む私どもとしてはどうすればいいのでしょうか。
思い切って引越しでも真剣に考えないといけませんね。

さて、思い出したことがありました。

ここ数年前から6月には必ず世界遺産巡りをするように計画してますが、実はこの14日、15日の旅行は当初、宮城県仙台地方を回る予定でした。

昨年の7月に石見銀山の世界遺産登録が決定しましたので、急遽変更をしたところでした。

もしかしてそのまま、宮城県への旅行を決行していたら、今頃家族へも心配やらをかけていたのかもしれません。
といっても内陸部への旅行ではありませんので事態に巻き込まれることはなかったでしょうが。

いずれにしても災害国日本。

周りの全てを海に囲まれ、まさしく火山の上に人間が住んでいるようなものですからこれからも多くの災害との戦いが生じることでしょう。

「備えあれば憂いなし」とは言いますが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の如く、なかなか万全を期すことは出来ないようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 01:24Comments(0)

2008年06月13日

川柳に写る世相、読む世相

川柳に写る世相、読む世相

五・七・五で読まれる川柳は、日本人独自のものと思ってましたら最近は外国でも研究をされてたり、実際に自国語で川柳を作ったりもされておられるようです。

川柳というと私は必ず江戸時代を思い出してしまいますが、やはりその時代に生まれたものでしょうし時代背景を確実に反映しているのでしょうね。

所謂、町人文化が花開くと共に親しまれてきたのかもしれません。
風流を感じますし、ハイカラで粋で、いなせな感じがします。

あるいは自由で奔放で、読む人の心の温かさまで感じるのはやはり日本人だからでしょうか。

季節を敏感に感じ捉え、人への思いやりや譲り合う心、人に対して温情が深くて、辛らつなこともあまり言いませんし、控えめな態度さえ感じます。

先日、『サラリーマン川柳』の人気投票結果が第一生命保険より発表されたようです。

1.「空気読め!」 それより部下の気持ち読め!(のりちゃん)

2.「今帰る」、妻から返信「まだいいよ」 (えむ)

3.減っていく、ボーナス・年金・髪・愛情 (ピュアレディ)

4.円満は、見ざる言わざる、逆らわず (ソクラテス)

5.ゴミだし日、すてにいかねば、すてられる (読み人知らず)

6.「好きです」と、アドレス間違え、母さんに (蒼空)

7.国民の、年金、損なの関係ねえ (官僚)

8.社長より、現場を良く知る、アルバイト (ゴットマウンテン)

9.赤字だぞ、あんたが辞めれば、すぐ黒字 (はぐれ鳥)
       
10.「いつ買った?」、返事はいつも、「安かった」 (騙されない夫)

こんな川柳を作れる方に羨ましい思いが走りますが、日本人に生まれたことに誇りさえ持ってしまいます。時代に敏感に反応する態度や行動、努力は大切なものです。

普段からそんなセンスを養う事が出来ると、もっとゆとりのある快適な生活が出来るかもしれませんね。

時代は確実に変化を遂げます。

変化のスピードは、昔の100年が今の1年にも匹敵すると言われます。

取り残されないように足手まといにならないように普段から努力する気構えが必要なのかも。

川柳のように、微笑みだけは忘れずに。
  


Posted by mister_kei0918 at 12:29Comments(0)

2008年06月12日

「子供は親を選んで生まれてきた」

「子供は親を選んで生まれてきた」

今日のNHKラジオを聴いてましたら、女性のゲストの方、産婦人科の先生のようでした。
「子供は親を選んで生まれてきた」とおっしゃっておられたのが耳に残りました。

小さい頃はいたずらで悪さ坊主で親を困らせること、しきりでした。
さんざんに心配もかけましたし親が人に謝らねばいけないような事態も引き起こしたものです。

私の親はそんなではこんな言葉までは言いませんでしたが、

「お前はうちの子ではない」、
「お前はどこかで拾ってきたんだ」、
「橋の下に置き去りにしてあったから、不憫だから連れて帰ってきた」
「お前は生まれてくる予定の子ではなかったんだ」
「いつの間にか、お前が出来ていたんだ」
「望んで作った子ではないんだ」
「お前はいったい誰の子なんだ」



本来、子供は夫婦愛の結晶であり、望むべくして生まれてくるものであり、この世に必要にして生を受けて生まれ出でてくるものです。

子供を育てるには親としても物心両面からも大変なエネルギーの要ることでもあり、艱難辛苦、葛藤の日々も送ったりもいたします。

時には憎たらしい感情が頭を持ち上げてくることもあるものです。

でも、子供だからといって感情の赴くままに言葉を吐くことは慎むことが大事なようです。

親の所有物でもありませんし、幼いといっても親の言う言葉は心の中にズシンズシンと音を立てて響いているものです。

子供自身も気づかずに生涯、そんな親の言葉を背負って苦しむ姿もよく見るものです。

言葉の言は刃の意味も持ち合わせているようです。
翻って、
「子供は親を選んで生まれてきた」と思うようにしてみてはいかがでしょう。

子供は実はそんな思いで親に自分の生命を預けているのです。

私の子育てはもう既に終わってしまいました。

振り返って見ると、今の人生は子供たちが作ってくれたようにも思えます。
「鳶が鷹を産む」、そんなこともあります。


『親であるということは一つの重要な職業だ。
だがいまだかつて、子供のためにこの職業の適性検査が行われたことはない。
バーナード・ショウ』
  


Posted by mister_kei0918 at 22:06Comments(0)

2008年06月12日

梅雨の晴れ間の小休止

梅雨の晴れ間の小休止

昨日、北部九州の入梅宣言がありました。
沖縄、奄美地方の入梅は毎年一番乗りですが、最近、おかしな現象が続きます。

九州地方でも一番最後の入りが鹿児島だったり、今年のように関東、近畿地方の後に北部九州の入梅宣言がなされるなど。

不思議な現象は梅雨に限ったことではありません。
この自然環境はどうなっていくのでしょうか。

梅雨といえば紫陽花。
今至る所で咲き乱れてます。

紫や赤、白で満杯になる姿は鬱陶しい季節の心を和ませてくれます。

皆さんは気づいておられますか?
梅雨が来るまで、つつじの花が満開のところがあります。

また、今年のカニサボテンは異常なほど花を咲かせました。

今日は梅雨の晴れ間の小休止。

会社に出てきたのは6時過ぎでした。
それでも気ぜわしい、追いかけられる一日でした。

締めくくりは夕方からのある会の総会。

ご挨拶をして少し食事を頂いてきました。
人にお会いし旧交を温めるのは楽しく意義深いものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 21:17Comments(0)

2008年06月10日

出来れば俺が先に。それまでは、その先は。

出来れば俺が先に。それまでは、その先は。

先日、確か80歳を過ぎておられるでしょうか、存じ上げている方の奥様が長患いの後、最近お亡くなりになられました。

毎日毎日、遠い病院まで看病にお出かけになっておられたようです。
私ども夫婦もだいぶ以前ですがお見舞いにも数回出かけたものです。
最後のお見送りは手を握り合ってお別れをされたとのことでした。

その方曰く「できれば私の方が先に逝きたかった」、「この歳になって残されるのはきつい。命の限りが分かっているのであればもう少し若い頃であれば、こんなには苦しまないのであろうが」・・・

寂しげに語られる口調には、つい涙を戴いてしまいます。

夫婦も年数、年月を重ねるとつい、「お前が先の、俺が先」の話になってしまいます。

世間一般的な話として、或いは先輩たちの生きておられる様を拝見すると、どうも妻に先立たれた男性よりも夫に先立たれた女性の方が逞しく、強く、辛抱を持って生きておられるように思えます。

随分昔になりますが、横暴極まりない、我侭放題、口汚い先輩がおられました。癌で亡くなりましたがその奥様がそれは晴れ晴れしたお顔をされておられたのを思い出しました。

その観点からすると私などは極めて女々しく、いつまでも悲しみに打ちひしがれそうで家庭のことは何一つできることは無く、当然台所に立ったこともありませんので食事を作ることも全く駄目。

行く末が案じられます。

インスタントのラーメンくらい、果物の皮をむく、ご飯を炊いて生タマゴを割り醤油をかけて食べるくらいは過去の経験から可能でしょう。

そうですから
「お前は私の後で逝きなさい」
「病院も行った事が無い人だし、片や病院通いの耐えない私のほうが先かも」
「そういう人が長生きをするんだよ。私のように頓着の無い人間、病気の病の字も知らない人間に限ってポックリ逝ったりするもんだ」・・・

そんな問答が繰り返されます。

年の精でしょうか、近づいた精でしょうか。

いずれにしても、長患いや家族には迷惑、心配は掛けたくないものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 10:20Comments(0)

2008年06月10日

総会が10ヶ所、石見銀山、そして東京、決算月

総会が10ヶ所、石見銀山、そして東京、決算月

6月は会社の決算月。
今年度の締めくくりの月でもありますが次年度へ弾みをつけられるかの大事な月です。

ある意味、楽しい月でもあり、期待の月でもあり、悩みの月でもあります。
会社が黒字で決算をするのか、赤字で終わるのか。
天下分け目の関が原と言う所でしょうか。

そんな大事な月に走り回っています。

総会が約10箇所、月半ばには家内と石見銀山へ、翌週は東京の会議へ。
その合間を縫って、諸会議や研修会や講演会、勉強会。

当然、会社の仕事も社員に負けないくらいに頑張っています。

今朝の出勤はAM5時半。

当然、誰もいない会社の中で決済や発注、残務の整理、メール類の片付けや送信。

どうも性格的にはやはり走り続けたほうが良さそうです。
立ち止まったり、スローダウンすると無駄に振り返りそうで。

でも忙しいとは極力言わないようにしてます。
忙しいの字は「心を亡くす」と書くから。
  


Posted by mister_kei0918 at 01:04Comments(0)