2009年07月28日

貴方が屍(しかばね)になった後

貴方が屍(しかばね)になった後

そんな事を意識する年頃にもなってきました。

人生80年といいます、まだ時間はありますが。
ご先祖様にお会いできる日、お盆も近づいてきました。

私の隣で今日の新聞を見ている家内がいます。
「○○さん夫婦が踏切事故を起こして、奥様が亡くなっている」と声のトーンまで上げています。

確かに。

このご夫婦は私どもの若い頃、起業仕立ての頃に隣に住んでおられたご夫婦です。
今は私共もそのご夫婦も引っ越しましたので離れてはしまいましたが、同じ市内ではあります。

一年に1~2度は必ずお見えになるのです。
決まって選挙の折。
△△さんに是非一票を、◎◎党に投票をとお見えになるご夫婦でした。

この度の事故で奥様がお亡くなりになり、ご主人は怪我をなされたようです。
ご冥福をお祈りしなくては。

果たして、私は屍になったとき、何が残せるのでしょうか。

人の思い出なんて、いつしか忘れ去られてしまいます。
寂しい想いも、時が経てば薄らいでもきますし、安らいでもくるものです。

あるいは自分がその時の事や以後のことを考えることがどんな意味があるのかなと思ったりもしないではありません。

でも、何かしら生きた証くらいは欲しいものです。
決して永劫ではなくても。

少なくとも10年くらいは。
語り草でもいいですよね。

「こんな主人だった」
「こんな父だったね」
「こんなおじいちゃんだった」
「こんな□□さんだったね」


出来れば、悪い印象や語り草にはなって欲しくないものです。

私が残したいもの。

何か心に訴えるもの、
人生設計上で役にたてるもの、
曲がり角に来たときに何かしら示唆になるようなもの、
それと少しの財産




『人が死んだあとに残るものは、集めたものではなく、
与えたものである。ジェラール・シャンデリ』



Posted by mister_kei0918 at 08:04│Comments(0)
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