2007年06月17日
父親の生き様を見てて欲しい
父親の生き様を見てて欲しい
今日は父の日って事はわかっていても自分の気持ちの中に一緒の高揚感みたいなものは出ては来ません。むしろ家内の母の日の方が何かしらワクワクしたものです。
それは子供たちが来てくれる、幼い孫たちが騒いでくれる。そんな期待が渦巻くからに他ならないし妻の日頃の苦労や努力が一瞬にして癒されると思うからである。
父の日は子供たちも孫たちも来てはくれるが自分のお祝いなんて可笑しくて、恥ずかしくて照れてしまいます。
自分が主役なんてそんな場面は要らないし、私は妻を始め彼らの生活的基盤、社会的な基盤、磐石の会社を作るのが私の勤めであり、ブルトーザー的な存在だと認識している。
彼らの将来に必要な土ならしこそ私の父親として受け取った仕事だと思っている。
過去もそうであるが当分の間の私は傍目から見ても大変なスケジュールに追われ、大事な役割をキチンとこなしながら会社の運営も120%の全力投球で行くと思われる。
ボランティアにも精を出し、若い方々への接点も作りながらその傍ら中洲へもせっせと足を運び、友人知人との交流も手をぬく事はしない。
業界活動も決して中途半端は嫌い、20年の皆勤だってきっと果たすでしょう。
これはとりもなおさず、子供たちに中途半端な私の姿は見せたくない、見せるなら全てが手抜きをしない全力投球の私の姿でありたいと思うからである。
私の生き様を見てて欲しい・・・それは決して子供たちの生活に決して直接的に役に立ったり影響を及ぼすものではないけど知恵も知識も、地盤も看板も皆無といっていいほどといってもいいかもしれませんが、そんな父親がどんな生き方をしたのかをつぶさに見ていて欲しい思いがある。
それは反面教師となるのかもしれないし、部分的に捨て去りたい部分、全く参考にもならない事なのかも知れないけど、人間が一生懸命生きる事ってこんな事なんだとかけらでも掴んでくれると嬉しいと思っている。
最近になって子供たちに見せてきた人生の歩み方に少し反省する点、修正する点が出始めている。
決して過去を否定するものでもなく後悔も決してしてはいないが、時代に即した生き方があることを始めて知り私が数十年に渡って持っていた人生観を幾らか修正をする事にしている。
今までだって生き方に挑戦的に、しかも粉骨砕身、しかも人との関係に重点において生き抜いてきましたのでその基本的な姿勢は寸分も揺らぐ事はありません。
子供たちに「私の残る生き様を見てて欲しい」と敢然と言い切るためには当然そのような生き方を求まられるわけであり、今までの生き方だって決して中途半端なものではなかったと自信を持って胸が晴れる。
残る人生は決して長いものではないにしても子供たちに恥じることなく、「私の残る生き様を見てて欲しい」と告げてみたい。
今日は父の日って事はわかっていても自分の気持ちの中に一緒の高揚感みたいなものは出ては来ません。むしろ家内の母の日の方が何かしらワクワクしたものです。
それは子供たちが来てくれる、幼い孫たちが騒いでくれる。そんな期待が渦巻くからに他ならないし妻の日頃の苦労や努力が一瞬にして癒されると思うからである。
父の日は子供たちも孫たちも来てはくれるが自分のお祝いなんて可笑しくて、恥ずかしくて照れてしまいます。
自分が主役なんてそんな場面は要らないし、私は妻を始め彼らの生活的基盤、社会的な基盤、磐石の会社を作るのが私の勤めであり、ブルトーザー的な存在だと認識している。
彼らの将来に必要な土ならしこそ私の父親として受け取った仕事だと思っている。
過去もそうであるが当分の間の私は傍目から見ても大変なスケジュールに追われ、大事な役割をキチンとこなしながら会社の運営も120%の全力投球で行くと思われる。
ボランティアにも精を出し、若い方々への接点も作りながらその傍ら中洲へもせっせと足を運び、友人知人との交流も手をぬく事はしない。
業界活動も決して中途半端は嫌い、20年の皆勤だってきっと果たすでしょう。
これはとりもなおさず、子供たちに中途半端な私の姿は見せたくない、見せるなら全てが手抜きをしない全力投球の私の姿でありたいと思うからである。
私の生き様を見てて欲しい・・・それは決して子供たちの生活に決して直接的に役に立ったり影響を及ぼすものではないけど知恵も知識も、地盤も看板も皆無といっていいほどといってもいいかもしれませんが、そんな父親がどんな生き方をしたのかをつぶさに見ていて欲しい思いがある。
それは反面教師となるのかもしれないし、部分的に捨て去りたい部分、全く参考にもならない事なのかも知れないけど、人間が一生懸命生きる事ってこんな事なんだとかけらでも掴んでくれると嬉しいと思っている。
最近になって子供たちに見せてきた人生の歩み方に少し反省する点、修正する点が出始めている。
決して過去を否定するものでもなく後悔も決してしてはいないが、時代に即した生き方があることを始めて知り私が数十年に渡って持っていた人生観を幾らか修正をする事にしている。
今までだって生き方に挑戦的に、しかも粉骨砕身、しかも人との関係に重点において生き抜いてきましたのでその基本的な姿勢は寸分も揺らぐ事はありません。
子供たちに「私の残る生き様を見てて欲しい」と敢然と言い切るためには当然そのような生き方を求まられるわけであり、今までの生き方だって決して中途半端なものではなかったと自信を持って胸が晴れる。
残る人生は決して長いものではないにしても子供たちに恥じることなく、「私の残る生き様を見てて欲しい」と告げてみたい。
Posted by mister_kei0918 at 11:53│Comments(0)
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