スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2008年06月07日

多ければ多いほど自由と心を失う

多ければ多いほど自由と心を失う

一生に一度は「もう要らない」と言いたくなるほどのお金に囲まれてみたいと思うのは私だけではないのかも知れません。

でも、考えてみたら「もう要らない」と言う事態が無いのではとも思ってしまいます。
つまり際限が無いという話です。

自宅のガレージに脱税したお金をダンボールに入れて山積にしていたという事件が報道されました。税金から逃れるために、現金化して相続したお金を隠したのです。

忘れてしまいましたが70億でしたでしょうか。史上最大の記録とかのようですのでもっと多かったのでしょうか。

その年老いた姉妹の日常の生活は極めて質素だったというから滑稽です。
何のためのお金だったんでしょうか。お金は「天下の回りもの」といいます。世の中に流通してこそ生きてくるものですし報われるものです。

多分、華美に出来なかったのでしょうね。眠れない夜もあったのではないでしょうか。恐れおののいて極めて窮屈で、不自由な生活に終始していたのでは?

「お金持ちは、けち」等とも揶揄されます。

ついあちこちからお金の無心や寄付の要請も多いでしょうから、全て対応していたらとんでもない事になってしまいます。

ですから断ることが多くなってしまうものです。
従ってその様な言われ方をするんでしょうね。
私の周りにも多くのお金持ちがおられますがその方々はそんな事はありませんが。

お金持ちが一番恐れるのは、そのお金を失う事だといいます。

失うものが少ない人ほど自由闊達ですし、奔放です。社会的な地位の高い人もそうですよね。

お金や物に執着する人、想像を越えるほど所有している人ほど守りに徹しますし失う事に戦々恐々となり、自由を失っているものです。

幸せもそうかもしれません。

余りにも幸福の絶頂の絶頂に要ると、周りが見えず、足元を見ることを忘れてしまいます。
「好事、魔多し」
「油断大敵」・・・そんな時程、今後のあり方を考えるときのようです。心を引き締めるという事でしょうか。

物やお金と心を引き換える事の無いように、心を見失ったり、奪われる事の無いようにしなくてはいけませんね。

「お金も物もそんなに多くなくてよかったね」等と自分を慰めてます。
  


Posted by mister_kei0918 at 07:40Comments(0)