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2009年04月09日

心の眼

心の眼

「眼は心の窓」、
「眼は口ほどに物を言う」、
「あの人の目は突き刺すように鋭い」とか、若い頃に言われても気にかけることも無かったのですが、年の精でしょうか。

確かにそうだと納得をしてしまうこの頃です。

言葉の素晴らしさや怖さを嫌と言うほど、経験をするものです。
と、同じように眼光の鋭さでたじたじしてみたり、逆に心馴染んだりするものです。

他人の眼によって私の様々な心模様が展開するように、私の目が相手にとってどんな風に写るのかも時には気を使ってみるのも必要なようです。

優しい眼光をしているのか、
相手を突き刺すような眼光を時々していないか。

「心眼を開く」と言います。
物事を鋭く判断できる心の動きと辞書には記載されています。

人は経験を重ねることでまさしく心眼を開いていくものです。
経験の一つ一つが自分の心根や心眼を作っていると思えば決しておろそかには出来ないようです。

恋愛に明け暮れること、
結婚をすること、
子供を授かること、
労働の尊さを知ること、
経営をすること、
家を建てること、


挙げるとキリがありませんが、経験をただの一過性のものとしないで自分のかけがえの無い体験として捕らえると全てが大切になってきます。

それと経験は多くなくても一つのことを全ての人々以上に掘り下げて研究、勉強することも幾つもの経験と同等以上に貴重なものに思えます。

仕事を極める人、
研究に打ち込む人。

また、並行して人との関わりを大事にしながら、切磋琢磨の中で自分を深めていけるとこれに勝るものはなさそうです。

経験は多くても、それが人間としての心根や心眼に形となって現れてこないと人間として片手落ちにならないとも限りません。

今日からまた第一歩。
明日の為に。


『夫を持ったり、子供を持ったりするたびに、
人間の心の眼は開けてゆくものだよ。川端康成「結婚の眼」』
  


Posted by mister_kei0918 at 14:41Comments(0)

2009年04月08日

日本があらぬ方向へ向かわねばいいが

日本があらぬ方向へ向かわねばいいが

先日からの北朝鮮がらみの騒動は不思議なくらいに静まってしまいました。

と言うのは私どもだけで、
国政に携わる政治家や大手企業、とりわけ軍需産業絡みの人々にとっては繊細一隅のチャンスを伺っているやも知れません。

国の防衛に直接関わる人々にとってはとても重要な機会だったのかもしれませんね。

何も知らない私のような凡人は「ミサイルだか衛星だか知らないけど、日本に危害が無くてよかったね」などと優しく呟く程度でことを収めてしまいます。

結局、北朝鮮は衛星を隠れ蓑にして結局は核弾頭ミサイルの実験をしたに過ぎないのではないでしょうか。

日本が幾ら抗議しようとも、国連がロシアや中国の同意を取り付けて決議をしても北朝鮮が変わるとは到底思えないのですが如何でしょうか。

アメリカもロシアも打ち上げに成功したと言う北朝鮮の衛星の電波も受信していないし、宇宙に北朝鮮の衛星など存在していないと発表しているのです。

日本でも官は当然躍起になって調査しているでしょうが、世界的なネットワークを持つアマチュア無線家の人々も何処からも北朝鮮からの発表による周波数帯の電波など受信していないと言っているようです。

怖いのは、直後の世論調査にあったように「日本の危機管理体制の甘さ」や「日本の防衛力の強化を望む・・67%」の様に急激に国民の意識が傾いていくことです。

最低限、自国を守る自衛策は講じないといけませんし、攻められて指をくわえて万歳をするのも戴けません。

他国の国民、何の罪も無い人々を戦時体制化にも無いのに拉致をする国柄です。
今後も何を仕出かすか分からないことは全ての国民が周知をする所でしょう。

機に乗じて急激な軍備を目指したり、予算を急激に増やすことには神経を尖らさねばなりません。

出来るだけ公の場に北朝鮮を引き出すことによって、議論を戦わしたり、北の国民に少しづつでも世界情勢を漏れ知らしめることではないでしょうか。

多分、今の体制や為政者の状況ではどうにも動きそうにはないようです。

アメリカ経済が日本を救うと言われる昨今。

日本の軍備強化の為にアメリカの軍需産業が活性化し、米経済が持ち直すようなシナリオがあるとしたらそれは悲しいことです。

例えそれが回りまわって日本の景気が好転しても。

経済の復興はそうでない形で実現をして頂きたいものです。

とりわけ北朝鮮の軍事の脅威にさらされる隣国の韓国や中国、東南アジア諸国と出来るだけ緊密に共同歩調の道を探りつつ国際社会、特にアメリカ、ロシアの力を借りて平和裏に始末をつけて欲しいものです。

ロシアから、日本は天然ガスの供給を受け始め、また原油についても近いうち始まるようです。

となるとロシアにとって日本は世界でも重要な資源輸出国になりロシア経済の復興に十分な貢献をすることは間違いありません。

北朝鮮からは日本へのミサイルがかなりの数が設置されているようにも聞きます。
また最近では急激な中国の軍備費の伸びが世界的な議論に上ってきています。

由々しき事態ですが、
冷静に事態を把握し万全を期すことは重要に思いますが余りにも神経質にならず、正確な議論を重ねて欲しいものです。

一部の世論誘導や声の大きさに惑わされること無く、私ども国民が納得した形で防衛論議が進むことを期待するものです。

逆に余りにも楽観過ぎて、
事の重大さを見失い遅れをとることは国民にとっては大変な不幸な事態を招くことにもなってしまいます。

どちらにいくにしても、
私どもも重大な関心事として勉強もしなくてはいけませんし、命と財産を守る日本国である為に重要な機会が存在したと言う一面も理解をしなくてはいけませんよね。

でも、世界の国々の意見を無視してでも自国の利益を貪る国が隣に存在する事は恐ろしいことです。

今のような平和ボケと言われるような事でいいのでしょうかね。
隣の韓国の若者と話す機会がありますが、どこかの国とは大変な違いがあるようです。
  


Posted by mister_kei0918 at 17:06Comments(0)

2009年04月08日

歩んだ人生を自慢げに語りたいもの

歩んだ人生を自慢げに語りたいもの

自慢げに自分の人生など語るほど、材料を持ち合わせているわけではありませんが、男として父親として、経営者としてそんな時間が欲しかったりもするものです。

色んなところで話をする機会はありますが、断片的だったり、公の場だったりで私自身のことを語る場ではなかったりするものです。

語るにはそれなりの条件があります。

今が健康であること、
それなりに社会や家族、企業に貢献をしてきた誇りがあること、

足元を掬われるようなことをしていないこと、
真摯に真剣に生きてきたこと、
努力の積み重ねであること、

これからも十分に生き抜く気力を持ち合わせていること、



人の一生は、「たかが一生、たかが生き様」と言われますがそれぞれに価値があり意味深いものです。

いい加減に、我が侭に勝手気ままに生きてきたようですが、それぞれの立場や環境において重要な役割を担って一生を終えていくような気がします。

中には裏街道やアングラな世界を歩き、世間に迷惑や被害を与える向きも無いではありませんが多くは善良な思いで生きている人がほとんどでしょう。

長い人生の中では時には邪まな気持ちが働いたり、万止むを得ない状況に追い込まれたり、気づかずに嵌(はめ)られていることや法的な事の無知から来ることも時にあるものです。

時には自分の人生を自慢げに語りたいものです。
照れくさいですが。

それだけ人の一生は貴重なもので価値あるもののように思えるから。


『苦悩こそ人生の真の姿である。
我々の最後の喜びと慰めは、
苦しんだ過去の記録に他ならない。ミュッセ』

『克服することができると信じる者は、克服することができる。
この人生の第一課を学ばなかった者は、
恐れを克服できないまま日々を過ごす。エマーソン』

『人生は芝居のごとし、
上手な役者が乞食になることもあれば、
大根役者が殿様になることもある。福沢諭吉』
  


Posted by mister_kei0918 at 11:16Comments(0)

2009年04月06日

幸せな人生には助走が必要な気がする

幸せな人生には助走が必要な気がする

人生が幾ら長いと言ってもたかだか100年。

とは言ってもこんなに浮き沈みや変化、苦労や悲しみ、片や幸せや喜びが交錯する生涯も人間のみの体験でしょう。

複雑怪奇な心を抱えて、その100年でさえも全うするのは大変に厳しいものです。

でも、同じ一生なら出来るだけ幸せにあって欲しいものです。
余り楽に過ごそうとは思いませんが、意義深い一生でありたいとは思います。

また、私の存在や能力では及ばないことですが出来れば社会や人々のお役に立てれば之に勝るものは無いようにも思います。

出来れば幸せに。
これが難しいですよね。

同じ人生なのに親の七光りであったり、誕生の瞬間から大きな差があったりもするものです。

生まれたときには既に莫大な財産に囲まれていたり、努力することなく安泰な社長の座に座ることが約束されていたり、或いは最初からハンディを背負わされる事だって多いものです。

そんな恵まれた人々と比較すること事態が大きな判断ミスをしているようにも思うのです。

大半の人々は甲乙、大小、高低・・・幾らかの差はありますがほぼ同じスタートラインに立っていると言ってもおかしくは無いようです。

最初から恵まれている少数の人々と自分を比較して、萎縮したり、泣き言を言ったり、諦めたりしても結局は詮無いことで損をするのは自分でしかありません。

人生は全力疾走。
時には無駄な徒労もあるものです。

それが人間としての積み重ね。

しっかり地道に、真剣真面目に人生に取り組んだ人間が最後は勝利をするように出来ているようです。

それが若しかすると自分の世代ではないかもしれません。子供の時代かも、或いは孫の世代かも。

それでいいと思うのです。

助走に信念を持って、しっかりと歩む人。
うまく人生は出来ているものです。

「羨む」の意味は欲しがる、憧れるの意味もありますが、「邪まな思い」「曲がった行い」の意味もあるものです。

人を羨む前に自分の足元を見つめ、しっかり助走をすることこそ肝心なようです。  


Posted by mister_kei0918 at 14:49Comments(0)

2009年04月06日

失敗は成功の元?

失敗は成功の元?

いつまで経っても失敗ばかりでちっとも成功しない。

私もそうですが、何処まで行けば成功なのか到達点が見当たらないものです。
人によってその大きさや度合いは異なってくるもの。

失敗でも小さな失敗に留めないといけませんよね。

出来ないことに手を出したり、大よそ無謀と分かっていて当然のごとく失敗の渦中に飛び込む人も多いものです。

失敗は出来れば小さく留める。
失敗は出来るだけ家族や友人、周囲に迷惑を掛けない。

失敗しそうな時点で被害を最小限に留める努力をする。
常に自分の足元や能力を見極める。

自分を過大評価や過信をしない。
余り他か望むをしない。

努力、勉強研究を常に重ねる。
人との関係の大切さを常に念頭においておく。
新鮮な情報接する機会を多く持つ。



チャンスは常に巡ってくるものです。
それも望んでいる人に。

望めば誰でもと言うわけではありませんよね。
世の中、成功者だらけになってしまいますから。

成功は出来れば身近な、小さな出来事から始まるのが良さそうです。

一攫千金を夢見たり、身の程を遥かに超えた事業や社会的な地位は獲得できない確率がほとんどですし失敗をするために火中に飛び込むようなものです。

失敗は必ず次に繋がるようにすることが必要です。

失敗に固執しないこと、
拘らない事、
恐れないこと、
失敗の中にこそ成功の種が隠されているものです。

失敗の無い成功は感激も薄いものです。
失敗の潜む成功こそ、やりがいも大きいものです。

私は日常的に失敗や恥ずかしい出来事の連続ですが、それにめげない心意気が大切だと思っています。

「これでもか、これでもか」の思い。

七転び八起きと言います。
転ぶことも大事なことのようです。

人は失敗の連続の中で、いつかしら成功を手中に収めているものです。
  


Posted by mister_kei0918 at 11:30Comments(0)

2009年04月05日

昨日は今日の為に何かをもたらせてくれる

昨日は今日の為に何かをもたらせてくれる

人の今は過去の経験や実績の上に成り立っているような想いが最近ひしひしと迫ってくるような気がします。

それだけ馬齢を重ねたと言うことでしょうか。
何事も積み重ね。

小学校時代の低学年で鉄棒の逆上がりが出来なくて悔しい思いをしたものです。

放課後に残って一人で何回も何回も繰り返すうちに完全には出来ませんが、足がてっぺんまで上がるのを経験します。

夜には寝つきが悪かったものです。明日は出来そうな気がするから興奮状態で眠れないのです。

何回も寝返りを繰り返したものです。

経験や成功体験を繰り返すうちに、出来そうなもの、到底不可能なもの、やらないほうが賢いものの判断などが自然と出来るようにもなってきます。

「虫の知らせ」、なんとなくそんな気がすることがあります。
それは決して虫が知らせたのでもなく、誰かが教えたものでもないようです。

自分の積み重なった思いや経験、失敗も成功もありますが、それらがなんとなく教えてくれているような気がするのです。

決して偶然ではなくて必然のような気がします。

今日のほとんどは過去が決めてくれた、昨日までの過去がもたらす結果のような気もするのです。

そうではないと否定するよりも、若しそうでなくてもそうだと信じて生きていく方が人として感心なあり方のような気がするのです。

努力をする気概だって生まれてきますし、必然だと思っていたほうが自分に対しても励み、賞賛にもなってきます。

次の勇気を生み出す力にもなるものです。

「明日を迎えることが楽しくなる」、そんな気にもなってきます。
  


Posted by mister_kei0918 at 21:51Comments(0)

2009年04月04日

諦めも肝心、時には開き直りを

諦めも肝心、時には開き直りを

「物事は諦めてはいけないよ」
私自身も言い続けて、言われ続けてますが、どうもそうではなくて諦めることも必要ですし、大事だと言うことを知ることも大事なように思います。

分不相応な目的や要求を掲げすぎるが為に、自分を追い詰めてみたり、プレッシャーに耐え切れなくなったり、押し流されたりもします。

或いは、切羽詰まった行動へ走ることもあるものです。

それは自分の命を掛けてみたり、精神を病んでみたり、法的な垣根を越えてみたりもそうでしょう。

単純に諦めることはいけませんが事によっては諦めることがむしろ好結果を生むこともしばしばです。

世の中には自分には歯の立たないことやどう頑張っても辿り着くことの無い世界も多々あるものです。

その見極めを若い頃から身につけることが出来ると嬉しいですね。

それにはやはり多くの人に会うこともそうですし、多くの貴重な情報に接する事、自分自身が日頃から切磋琢磨することが大事なようです。

そのことで自分の力でどうにかなること、ならないこと、努力すれば到達できることの判断がつくようにも思えます。

世の中、何が起こるかわかりません。

努力もしていないこと、目標にもしていなかったことがひょんな事で実現できていたり、思わず思わず棚ボタ的に舞い込んで来ることもあるものです。

逆に考えると根を詰めて、必死になったことが必ずしも実現をするとは限りません。

限界を感じたら「諦めも肝心」「開き直りも大事」
そんな想いもいいのではないでしょうか。

それが癖になっては困りますが。

でも、日頃から努力する精神を忘れて「諦めも肝心」ばかりでは本末転倒です。


『個人は何ものかに達するためには、
自己を諦めなければならないということを、だれも理解しない。ゲーテ』


『良いときに焦らない、苦しいときに諦めない。将棋谷川浩司名人』
  


Posted by mister_kei0918 at 11:47Comments(0)

2009年04月02日

人生は新しい自分見つけの旅

人生は新しい自分見つけの旅

世の中が混迷を深めると何でもかんでも世の中や社会の精にしてしまう。
世の中が解決策を講じてくれるわけでもありませんが、口癖のように。

業績が悪くなると自分の営業力は棚に上げて、景気がどうの、社長がどうの、得意先がどうの・・・・・同業者はそれなりに業績を維持していても。

口に出せば解決の糸口が見つかるわけでもありませんし、お互いに傷口を舐めあっているだけなのですが。

折角なら、建設的な話や議論に集中したほうが収穫も多いですし、新しい発想や行動も出てくるものです。

不満が全ていけない訳でもありませんが、ほどほどにしておかないといよいよ泥沼へ自分で自分を引きずり降ろすことにもなってしまいます。

そこで人生は新しい自分見つけの旅でもあるような気がします。

今までと違う自分、
人と比較してもどこか違う自分、
(悪い意味ではなく、しかも非難されるようなことでもなく)
ほんの少しだけど得意とする部分、
ちょっとだけでも自慢できる自分、



人として、本の少しだけでも誇らしげな部分が出てくると、波及的に色んなところで今までと違う自分が発見できます。

それを明らかに自慢したり、吹聴したりする必要もありませんし、それが却って自分の品性を片方では失う結果にもなってしまいます。

うまくいかないことは他人の精にすることなく、自分の努力で補ったり、自力で発展しようとする努力こそ、発展の原動力となるものです。

私の生き方は一人よがりで現実に不満や不平を感じるばかりで努力をすることを忘れている人間でした。

現状打開をするために少しの努力を重ねることで幸せになれることを信じていなかったのです。

それが自分だとあきらめていたのです。
実は本来の自分が別にいることを知らなかったと言った方が正しいでしょう。

或いは今の自分は本来でないことを知ろうともしませんし、人が努力で変われること、新たな自分の可能性が潜んでいることさえ気づかなかったのです。

「人生は新たな自分つくり、自分見つけの旅」に見えます。

それも明るく楽しくないといけませんよね。
  


Posted by mister_kei0918 at 17:20Comments(0)

2009年04月02日

自分自身の事が一番分からない

自分自身の事が一番分からない

「身の程知らず」とは良く聞く言葉です。

身の丈以上のことをしようとする人、
自分の能力の見極めがきかない人、

若しくは仕損じた人、
他人からの評価以上に自己を吹聴する人、

そんな人を「あいつは身の丈知らず」、「わが身をわきまえない」等と言います。

そんなに能力も無いのに過大な自己評価をするのは感心しませんし、人の信頼を失ってしまうものです。

それなら、むしろ謙虚や謙遜の方がまだ良いかもしれませんね。

逆に私の様に自信のない奴、自己評価の極めて低い人は却って損を被ることが多いものです。

4月に入ると入社式や入学式が花盛りです。
いつも言われる言葉「あなた方は無限の能力を秘めている」。

若い方を激励や鼓舞する意味で言われますが、人は無限の能力をそれぞれに持っているとはいえませんよね。

でも、人それぞれにそれなりの能力は秘めているものです。

或いは全ての人が同じ能力を秘めているわけでもありませんが、人は努力によって本来持ち合わせている能力以上のものを手にすることが出来ます。

或いは周りの人の力添えや協力、運にも近いチャンスを得ることによっても本来の力以上の評価を受けたり、物や社会的地位の確保が出来たりもするものです。

人は自分の事は極めて無知と言ってもいいのではないでしょうか。
知っているつもりでも。

自分は人より劣っている、能力がないと卑下しないで頑張れば自分が思っている以上の力を発揮できたり、備えたり出来ることを知っておくべきでしょうね。

「あいつがそんなに出来る人間とは知らなかった」
「まさか、あいつが!!」
「あいつにそんな凄い能力があったとは」
などと言われることは良くあります。

案外、素晴らしい能力が思わないところで開花したりもするものです。

若しかすると眠っている才能を埋もれたままにして置くなど、勿体無い話ですし、それでもっと素晴らしい幸せや人生を送れるかもしれません。

食わず嫌いをせずに、最初から自分を低く評価しないで出来るところまででも頑張ってみることが人生では大切な様ですよ。
  


Posted by mister_kei0918 at 11:01Comments(0)